第3話はこちら


2013年10月。
HYTの活動が休止してから約半年の月日が経過していた。

それぞれが新しい環境にも慣れてきたところで、久しぶりに体育館を借りてバスケをしようという話になった。とは言っても、HYTで活動していたメンバーのうち数人は県外に行ってしまっている。そのため、チームのメンバーではなかったものの、度々参加してくれていた上野を中心に、高校時代に仲の良かった友達も募ってバスケをすることになった。

平田とは、社会人になってからも変わらずよく遊んでいたものの、他は久しぶりに再会する友達ばかり。体育館に足を踏み入れると、そこには懐かしい面々が居た。高校生の頃のように、軽くアップをしてからすぐに紅白戦を始めた。社会人になってからというもの、ひたすらデスクワークに勤しんでいた自分の体は鉛のように重かったけれど、気持ちだけは爽快だった。

やっぱりいつになってもバスケがしたいな。

素直にそう思った。
嬉しいことに、この気持ちを感じていたのは自分だけではなかったようで、それから毎週のように体育館を借りてはバスケをした。

気付けば、高校生の頃に夢見ていた「社会人バスケ」の試合に出たいと思うようになっていた。しかし、当時自分が知っていた長崎の社会人バスケというと、どれもトーナメント制の大会であったため、今のチームの実力を考えるとリーグ戦で戦えないものかと悩んだ。逸る気持ちを抑えきれず、スマートフォンとにらめっこしていると、あるサイトが目に留まった。

長崎フープリーグ

トーナメントではなく、リーグ戦を戦える環境がそこにはあった。
サイトを読み進めていくと、なんとその年に発足したばかりのリーグで、来シーズンの参加チームを募集していた。これだ!と思い、すぐにメンバーの数人に話をした。
そして、活動再開から3週が経った日の練習後、上野と、上野の友達という立場で参加してくれていた敦志の3人で、チームの今後について話すためにファミレスへ行った。

当時のメンバーは、自分たちの年代である19歳が大半を占めており、次点で1つ下の高校3年生のメンバーで主に構成されていた。そのため、リーグに参加のお願いをする以前に、ユニフォームをどうしようかという話で集まったのだ。これについては比較的シンプルに纏まり、社会人である自分たちが高校生のユニフォーム代を半額支払ってあげることで負担を減らしてあげようということになった。後に、高校生だったメンバーはこのチームの主力として君臨することになる。そんな彼らを「今ならユニフォーム代50%オフ!」のセールで丸め込んだと考えれば、安い投資である。こんな言い方をするのはいかがなものかと思うが、それほどまでに彼らの活躍にこれまで何度も助けられてきた。

次に話題に上がったのは、チーム名。HYTというチーム名にもすっかり馴染み、高校生の頃には勢いでチームのTシャツまで作ってしまったのだが、「この機会にもっとイカしたチーム名にしよう!」と3人で張り切って考え始めた。数時間もの時間をかけても決まらなかったと思う。22時ごろから少しの食事とドリンクバーで食いつないできたものの、考えれば考えるほど思考は止まり、追い討ちをかけるように疲れや眠気も襲ってきたタイミングで、誰かがボソッと呟いた。

「Planet…」

「いいやん!」

さて、何が良いのか。直訳で「惑星」。冷静に考えるとさっぱり分からない。あの頃、あの瞬間の3人は横文字なら何でも良かったのだろうか。つい数分前までは、あれやこれやとそれぞれの口から出る名前を却下していたのだから、そんなことはないはずだ。しかし、タイミングとは一期一会なのだろう。おそらく、あのタイミングで出た単語が「Planet」ではなく「Peanut」だったら、間違いなくうちのチームは「ピーナッツ」になっていたと思う。なぜか誰一人異論を唱えることもなく、こうしてチームの改名が決まった。

ちなみに、HYTの創設メンバーは自分・平田・増田の3人で、この時Planetとして活動再開のメインとなったのは自分・上野・敦志の3人。どちらのチーム名を決める時にもその場に居たのは自分ただ1人なのだが、おそらくチーム名に最も拘りがないのが自分なのだろう。誤解しないでいただきたいのは、どちらのチーム名にも同じくらいの愛着があるということ。個人的には、大切なのはチーム名じゃなくて「居心地」だと思う。居心地が良いから、チーム名にも自ずと愛着が湧くのだろう。

それから程なくして、リーグに対し参加希望の連絡を入れた。

HYT結成から2年半。活動再開から間もなく、チームは変革期を迎えていた。


続く

第5話はこちら

ちょーの

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2件のコメント

  1. […] 第2話はこちら毎熊の一件があった後、なるべくみんなの意見を汲んであげようと心がけた。それぞれの予定がある時は無理を言わず、その代わりにメンバー以外のバスケ好きに声をかけ、助っ人を増やした。はじめは初心者だったメンバーも、活動を通してそれぞれの得意分野を見つけては武器にしていった。チームとして個々人がスキルアップしていく様を見ていると、まるで「実写版ロールプレイングゲーム」が目の前で展開されていくようで、練習を重ねるたびにワクワクが止まらなかった。対外試合を行ったことのないこのチームをロールプレイングゲームの主人公に例えると、この主人公の成長の中にジャイアントキリングは一切ない。言うなれば、生まれ育った村の周りをぐるぐると徘徊しては、目の前に飛び出してくるスライムをひたすら倒しては村へ帰るだけなのだ。傍から見れば、完全に井の中のなんとやら。これがなかなかどうして面白い。「初心者だらけのチーム」が、活動を通じて「バスケ好きが集まるチーム」に変わっていくと、3年生になる頃には、なんとバスケ部を引退した友達まで参加してくれるようになった。正直に言うと、バスケ部といえば、このチームのレベルの低さに物足りなさを感じてしまうのではないかと考えていたのだが、そんなことはなかった。同じ目線で一緒にバスケをしてくれるし、経験が浅いメンバーには点を取らせようとボールを回してくれたりもした。自分の中での偏見や食わず嫌いが、このチームの可能性を無意識に狭めていた。この性格が、人生でどれほど勿体ないものなのかと痛感させられた出来事であった。高校を卒業する頃には、20人以上も人が集まってくれたこともあった。その日は高校受験の日で教室が使えないため、休校日。自宅学習という休みだったにも関わらず、こんな大人数でバスケをした次の日、噂を聞き付けた先生方から「自宅学習の日に外に出てなんばしよっとや」と注意を受けたが、言葉とは相対して笑顔だった。気付けば、活動を始めておよそ2年が経っていた。紆余曲折あったものの、バスケットボールを通じてここまで広がったコミュニティを初めて認めてもらえた気がして、自然と頬が緩んだ。その2ヶ月後、卒業式を終えて迎えた3月2日。自分たちの世代が高校生としての最後の活動には、これまで参加してきてくれた友達が何人も集まってくれた。しかし、チームの中にはこの活動を最後に県外へ旅立ってしまうメンバーもいた。バスケが終わってその日をお開きにする前に、自分と平田、そして増田の3人で県外へ旅立つメンバーそれぞれに宛てた色紙をプレゼントした時、涙を流しながら「ありがとう」と言ってくれたメンバーを見て、本当にチームを立ち上げて良かったと、心から思わせてくれた。この後、それぞれが進学や就職をすることで多忙になり、HYTとしての活動は少しずつ、そして確実に減少の一途を辿った。いま振り返っても仕方の無いことだと思うが、その年のゴールデンウィークを境に、チームの活動は完全に止まったのであった。続く第4話はこちらPS.この物語を書き始めた時は、不定期での更新になるかと思っていましたが、書き始めたら止まらないという現象に陥っています。笑もし他の話題を読みたいという方がいらっしゃったら申し訳ないのですが、もう暫くこのチームの歴史に付き合っていただけると幸いです。 […]

  2. […] 第4話はこちらPlanet体制になって、すぐに冬を迎えた。この頃のメンバー構成は、HYT発足時と比べると経験者が大多数を占めていた。紅白戦のレベルも発足時よりも遥かにレベルが上がっていて、その環境で際立ってくるのは、もちろんバスケ未経験者だった。このチームにいる未経験者の代表格が他でもない、あそふくメンバーである村崎だ。村崎がバスケを始めたのは、間違いなく「その場のノリ」だった。高校卒業間近に、少しばかり仲が良かったという理由だけで参加してくれただけで、当時はその時限りの参加だろうと誰もが思っていた。自分の目が節穴でなければ、村崎自身もそう思っていたはずだ。しかし、Planet体制に入ってからのバスケには、必ずと言っていいほど彼が居た。バスケがそれほど好きで参加していたわけではないし、周りの経験者のテクニックを目の当たりにしては「すげえ」「うめえ」と呟いていた。そんな村崎の誕生日が、2週間後の12月20日に迫っていた。その時、平田と敦志に声をかけ、村崎の誕生日にボールをプレゼントしたいから折半してくれないかと頼み込んだ。経験者ばかりの環境で頑張っていた村崎を、本当にバスケットボールにのめり込ませようと目論んでの提案だった。2人は、二つ返事で喜んで協力してくれた。大胆にも、村崎を加えた4人で買い物に出かけ、「チームのボールを1つ買う」と言って、本人の前でプレゼントを購入した。何事に対しても疑うことを知らない村崎は、この買い物にひとつの違和感も覚えなかったのだろう。迎えた12月21日の練習。この日は年末最後の練習ということもあって、来季シーズンを戦うメンバーへのユニフォームの配布と、フリースロー大会をするように計画していた。このフリースロー大会で仕掛けた。フリースロー大会と大袈裟に催したものの、景品は使わなくなったゲームや雑貨屋さんで買った小さなパズル、更には百均のおもちゃなど、お世辞にも貰って嬉しいものはほとんどなかった。フリースローを早く決めた人からクジを引くようなシステムにしていたため、優勝したからといって良い景品が貰えるとは限らない。我ながら、公平な(ある意味不公平な)フリースロー大会である。そして、参加人数に対して景品が1つ足りないという状況を作って、村崎が必ずハズレを引くような細工をした。人を喜ばせるには、一度しっかりと落ち込ませるのがミソだと思う。ここでも彼は変わらず素直だったので、しっかりと落ち込んでくれたことを覚えている。全員が景品を受け取ったあと、わざとらしく「ハズレやった人〜?」と尋ねると、間髪入れずに村崎が元気よく返事をした。言われなくとも、そんなことは知っている。ここで両手を差し出し目を瞑るように促して、裏手に隠れていた上野と健斗がニヤニヤしながら姿を現す。2人の手には、これでもかと言うほどのパイが盛り付けられた皿。そして次の瞬間。差し出した手を完全に無視して、勢いよく2皿のパイが村崎の顔を覆い尽くした。しかしまだ落ち着かせてはいけない。後ろに後退しながら顔を手で拭う村崎の視界が開けたとき、和也から「誕生日おめでとうございます!」と、先週一緒に買ったはずのボールをプレゼント。同時に、みんなが隠し持っていたクラッカーの音が体育館に鳴り響いた。「誕生日!?ありがとう!!」一瞬間があったものの、顔についたパイと状況を飲み込んだ村崎が叫んだ。作戦は大成功である。その後、これでイベントが終わったと思わせたところで、平田の兄である「あにーじゃ」に婚約祝いのパイ投げを同時に行った。村崎のサプライズにしっかりと協力してくれていたあにーじゃも完全に予期していなかった出来事だったと思う。2人とも、顔を真っ白にしながら喜んでくれた。突然の提案にも快く協力してくれたチームメイトも、一緒になって楽しんでくれたことがとても嬉しかった。自分の目指すチーム像が、このとき垣間見えた気がした。そして、村崎はこれを境に、バスケットボールというスポーツの楽しさにどっぷり浸かっていくことになる。続く […]

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