昨年生まれたばかりの息子を妻ひとりに任せて4ヶ月。

2月の下旬に航空券を予約してからというもの、来る初節句に向けて五月人形を買い、ちょっぴり豪華な料理をネットで漁って、野母崎の鯉のぼりをバックに家族写真を撮ろうと期待に胸を膨らませていた。


本当であれば、来週にはルンルンで長崎への空の旅を満喫しているはずだったけれど、新型コロナウイルスの感染拡大が著しく帰省を断念。批判を恐れずに正直に話すと、東京都をはじめとした7都府県に緊急事態宣言が出てからも、私はギリギリまで長崎に帰るつもりでいた。


毎日のように妻と相談を重ねて「私たちが最善の予防をしていればきっと大丈夫」と都合の良い結論を出して、画面の向こうにいる政治家の判断が遅いとフラストレーションを溜める日々。

帰省を諦めた今だからこそ冷静に考えられるけれど、家族との時間を優先したいが故に、自らの判断が遅いことに気付けていなかったと猛省。絵に描いたようなブーメランだ。

とは言え、自宅療養中の患者さんが亡くなっている事例も出てきているので、離れている家族が感染したらどうしようという心配も付きまとう。痛いほど分かります…。

まだ帰省を迷っている方に伝えたいのは「帰ってはいけない」ということではなく「ひとりじゃない」ということ。

故郷で待つ大切な人たちに会いたい気持ちの大小は人それぞれで、それを比べることなんてできないけれど、少なくとも同じ気持ちを抱えて涙をのんでいる人たちはいます。私も、家族に会えることを本当に楽しみにしていました。

(モザイク加工がむずがゆい…。笑)


会えるはずだった家族に会えないというのは、それなりにストレスが溜まるけれど、そのストレスを癒してくれるのもまた家族だ。

いつも以上に広く感じる部屋でキーボードを叩いていると、今日はああだったよ、こうだったよと言うコメントとともに楽しそうな写真や動画が送られてくる。

最近はずり這いで「おうちツアー」を敢行してはイタズラを繰り返し、天使のような笑顔を振りまく息子。電波に乗って届けられる全てが平和で、あたたかくて、今すぐにでもほっぺたをつつきたくなる。そこには、子育ての甘い部分が凝縮されている。

「かわいいね!」

「早く会いたいね!」

「本当なら〇日後には会えたのに…。」

副作用という表現は良くないかもしれないが、この甘い部分をひたすら味わうと、最後には寂しさだけがぽつんと残る。そして、これを紛らわすために家族に対してひとりぼっちの酸いを吐きだす。

「早く在宅勤務にしてほしい」

「帰るためにこんなに我慢してたのにさ」

こんな下を向いた話を聞かされるだけでネガティブになりそうなのに、そうだね、大変だねと聴いてくれる妻に頼っていた。そして、これで妻にストレスが溜まらないわけもなく、喧嘩までとはいかずとも、お互いにチクリと刺すような言葉を交わす回数が増えてしまった。

上機嫌の息子に顔を蹴られながら朝を迎えて、決まった時間に離乳食を食べさせる。それからイタズラに勤しむ息子から目を離さずに家事をこなしている妻は、東京から届く愚痴を巧みに受け流しつつ、息子の幸せな笑顔を打ち返している。

強い。強すぎる。

長崎に居た頃よりも遅い出勤時間になって、毎日定時で帰って、夜7時には好きなことに時間を使える。毎日のようにフライパンで肉と野菜を炒めるだけの私は、長崎から届く幸せな笑顔に癒されつつ、ひとりぼっちの寂しさを打ち返している。

何とも情けない…。

いま私が思っている以上に妻が苦労していることはたくさんあって(本人が苦労と思っているかどうかは別として)、加えて私にはそんなところを一切見せない。結婚する前に「もう少し頼っていいのに」と言ったことがあるけれど「私はプライドが高いからいいの」と笑って話していたのを思い出した。

本当に困っていても滅多に弱音は吐かないし、出産後に出てきた言葉は「おなかすいた」。こんなにかっこいい人は、きっと世界中を探してもどこにも居ない。

もうすぐ生後8ヶ月を迎える甘えん坊な息子と、息子に負けず劣らずの食いしん坊な妻、そして何もかも不器用な私。不揃いな野菜みたいな家族だけど、いつか始まる家族みんなでの生活をそれぞれが心待ちにしている。

— 〇〇(息子)には何を教えたい?

— ことばとか、箸の使い方とか、洋服の着替え方とか…。

— どれもまだ先の話だね。

— あと、〇〇(妻)はかっこいいんだぞってことかなあ。

— それはもっと先の話だよ。

今日も今日とて、酸いのない甘い話ばかりだ。

Text by...

文筆家。コワーキングスペースで働く傍ら、地域コミュニティchiicoLab.の運営に携わっています。その他、長崎のローカルメディア「ボマイエ」や「ナガサキエール」などでライターとして活動させていただいています。

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