外出を控え始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。

朝の品川駅に始まる人通りチェックは、昼の浅草、夕方の渋谷とルートが出来上がっていて、バラエティ番組で息抜きをしようにも「※3月上旬に撮影されたものです」というテロップで現実に引き戻される。


簡単な事って 勘違いをしていたら
判断誤って 後ろを振り返るんだ
何だって いつも近道を探してきた
結局大切な宝物までなくした



テレビ番組に疲れて、昼間にPrime Videoで観たモテキのサウンドトラックを湯船で聴きながら余韻に浸っていると、かしゆかとのっちにそんな言葉を突き付けられてしまった。音楽を聴いていても、本を読んでいても、その世界観にするりと入り込んでしまう私は、その言葉をすっかり真に受けてしまう。



食べることが心底大好きな私たち夫婦は、交際当初から数えて5年以上経った今も、週末においしいごはんやスイーツを求めて車を走らせる。行く先々で撮ったおいしい写真の数々は、鍵のついたSNSに載せることで思い出に変わっていったけれど、私がこのサイトを立ち上げたことがきっかけで、その思い出の形は大きく変化していった。


昨年、Google AdSenseという広告収入の手段を知った私は、広告を掲載するために文章を書きまくった。

掲載するための審査を難なくクリアし、晴れてサイトに広告を掲載できるようになった私は、以前に増してシャッターを切るようになった。

お店の外観、内装、メニュー、そして料理…。記事にありったけの情報を詰め込んで、Twitterで「ノスタルジックな雰囲気が…」「甘さと酸味のバランスが最高です!」なんて、斜めから見た感想を並べて宣伝した。いま見返してみると、どのツイートも顔から火が…いや、炎が出る。

そんな宣伝もリツイートで拡散していただけることが増えて、始めた頃は一桁もざらだったアクセス数が、100倍以上に膨れ上がった日もあった。

記事の中に紛れる広告をクリックしてくださる人たちのおかげで小銭が音を立て始めて、広告掲載から3ヶ月で1,285円のお金になった。

この調子で続ければ、支払基準額の8,000円にもすぐ手が届くんじゃないか…!そんな淡い期待を抱いていた頃に、SDGsを学ぶイベントの記事を書く機会をいただいた。




いつものようにTwitterで宣伝をしても、一向に拡散されない。やっぱりおいしい料理やオシャレなお店がいいのかなぁ…。そんなことを思っていたのも束の間、iPhoneの通知が止まらなくなったのだ。




「ちょーのさんの記事最高!」

「表現に度肝を抜かれました!」

「SDGsのことが、まるっと分かる写真とレポート。すっばらしい!」

感想のコメントが重なり、いいね!が溢れて、思わず泣きそうになった。


Twitterで記事が拡散されたとき、記事に対する感想を聴けたことがあっただろうか。お小遣い欲しさに「伝えること」の意味を勘違いして、振り返ると「アクセス数の増加」が近道だと判断を誤り、「映える写真」に躍起になっている間に「おいしい思い出」という宝物までなくしてしまった。

読み返すたびに加筆したくなるこの記事は、私の価値観を大きく変えた。



それから、半年以上の月日が流れた。

大好きな星野源さんと塩谷舞さんの文章を読みながら寝落ちする毎日を送っている私は、誰に媚びることもなく、興味がある人たちにだけインタビューをお願いしている。そして、家族に伝えにくい感謝の気持ちや、このように懺悔を綴っては心を満たす。

広告で溢れていたサイトは海と空の色を基調に一新して、「読んでくれ!」というツイートは「書きました。」へと姿を変えた。当時と比べてアクセス数は半数以下に減少し、AdSenseの収益はあの頃のまま変わっていない。

だけど、心はずうっと安らかで、私の好きで溢れている。




ここまで書いた後に参加したオンラインセミナー後の、交流会での出来事。お酒の入った1人が、私について10分以上もアツく語ってくれた。

自らが会話の中心に存在すると、ああああぁぁぁぁごめんなさいいいいぃぃ!なんて気持ちが溢れてしまうし、セミナーの講師陣がだまーって耳を傾けてくれることに罪悪感すら覚えてしまう。その人は私の制止を振り切って、こう言い放った。


asofuku.comはちょーので、ちょーのの文章はアートなのよ!
俺はそれを安売りしないでほしいし、書きたいことを書いてほしいの!
もう、chono.comでいいのよ!



私にとって、自分を情けない人間だと表現することはとても簡単で、自分が価値のある人間だと表現することは何よりも難しい。

作品の価値を決めるのはあくまで他人で、それが自らのイメージと合致するまでにどれほどの時間を要するのだろう。そして、たとえ100人がアクセスしたとて、いったい誰がこの作品を評価してくれるのだろう。

そんなことを考え始めるとキリがないこの世界で、今まさに、目の前の人が私の作品をアートだと評してくれている。嬉しくて言葉が出なかった。

過去の自分に伝えたいことは、好きなことを自分らしく続けていくこと。作品には決して正解がないということ。だけど、その作品がいつか、誰かの人生の肥やしになるということ。

私が創りたいのは、100人が気になる文章じゃなくて、1人の心が動くアートだ。



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文筆家。コワーキングスペースで働く傍ら、地域コミュニティchiicoLab.の運営に携わっています。その他、長崎のローカルメディア「ボマイエ」や「ナガサキエール」などでライターとして活動させていただいています。

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