年中さんの頃、僕の両親が離婚した。

僕たち兄弟の親権を得た母は当時住んでいた女の都の県営アパートを出て、祖父母が住む土井首へ住民票を移動。2人が住むには広々としていた4LDKの一軒家はあっという間にぎゅうぎゅうになり、僕たち兄弟は6畳の部屋を分け合った。

小さい頃に3つ並べていたはずの布団はいつしか2つになって、それぞれが部活や友だちとの遊びに勤しんで、高校を卒業した僕たちは長崎で就職。23になって家を出た僕を尻目に、今ではオンラインゲームが好きな弟がその部屋を独り占めして、悠々自適なインドア生活を送っている。可もなく不可もなく……といった人生を歩んできているけれど、その中で「お父さん」がいる家庭へ憧れたことはなかった。あんまり考えることもなかった、という表現が正しいかもしれない。

言葉でコミュニケーションが取れるようになった頃から、母は「ママ」。よその家庭では祖父母を「じいじ」「ばあば」と呼ばせることが多いかもしれないが、実家に舞い戻った「ママ」が「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶもんだから、僕たちも「おとうさん」「おかあさん」と呼んだ。

歳を重ねるごとに違和感は増していったけど、ある日突然「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶ方が、ずっとぎこちないと思った。

そうは言っても、年頃の男の子が「ママ」と呼び続けるのもかなり恥ずかしい。いつしか「ママ」は「ママさん」に変わって、今では「ゆうこばあ」に変わっている。「ママ」と「ママさん」の違いはないように思えるかもしれないが、僕たちにとっては大きな変化だった。

僕たちには、母が2人と父が1人がいたのだ。

そんなふわふわした暮らしをしてきた僕の心を突き刺すようなニュースが飛び込んできたのは、残暑が終わる頃だった。

2020年10月、おとうさんが大腸がんを、おかあさんが肺がんを患っていることが判った。

じいちゃん(曽祖父)や実家で飼っていた犬が亡くなった経験はしてきたし、決して「いのち」について考えてこなかったわけではない。特に犬に関しては、僕が長い残業を終えて帰って来るまで懸命に生き続けてくれた。あれからもう4年が経ったが、当時は本当に涙が枯れるまで泣いた。

人であろうと犬であろうと、僕の中で「家族のいのち」という意味では何も変わらないのだが、物心ついた頃からずっと一緒にいて、懸命に育ててくれたおとうさんとおかあさんが癌を患っている。もっと言えば、ともに70歳を越えている。いずれ訪れる2人の死から目を背けていたわけではないけれど、その事実が僕の心を大きく揺さぶった。

— 立ち止まらず夢を追い続けるべきか、2人のために何かできないか。

僕には、「長崎のまちで暮らしている人たちの魅力を伝えられるような冊子を出したい」という夢がある。

そのために色んなWebメディアで筆を執らせていただいて、色んな方のお話を聴かせていただいている。近ごろは表現力の停滞に大きく苦しんでいるけれど、進んでいる道は大きく逸れていない。これを地道に続けられれば、いずれはきっと………。

だけど、それを誰に届けたいのかを考えたときに真っ先に浮ぶのは家族で、その家族が2人もがんを患ってしまったのだ。

明日を約束されていないのは、何もおかあさんやおとうさんだけではない。僕も、ゆうこばあも、弟も、嫁も、子どもも。そして、この文章を読んでくださっているあなたも。平等なのは、「いつか死ぬ」ということだけだ。

そう思ってしまえば、冊子は「僕が生きている間に完成させられればいい」もので、そのとき届けたい誰かが既に亡くなってしまっていたとしても、完成するまでに僕が死んでしまったとしても、それは「仕方のないこと」だ。

生きている限り日々を過ごして、いつか終わりが来るということを受け入れる。それを悲しいと思い立ち止まることはあっても、振り向かずに明日を生きていく。これが「人生」だと思う。

そして、「仕方のないこと」に抗うことこそが「生きる」ということ。

これが、いまの僕が出せる「いのち」への答えだった。

— あのとき謝ることができたなら。

— あのときこう言えば良かった。

大切な人がいなくなる間際に、こんなことを思った人は世の中にたくさんいると思う。僕の場合、そんな大それたシチュエーションじゃなくても、よく頭を過る。(そのほとんどは「こう言えばウケたかもしれないのに…!」)

とは言え、言えなかったことというのは割と心に残ってしまう。それが喧嘩だったり、生死に関わることだったら尚更だ。「あのとき言えなかったありがとうを、天国の○○に届けます!」みたいなことも、それはそれでいいんだろうけど、どうもしっくりこない。

おとうさんとおかあさんはいつかいなくなる。だけど、きっと僕が伝えた言葉は2人の中で生き続けるはずだ。僕は生きて、2人への感謝と、僕の夢を伝えよう。

感謝を伝えるなら言葉で、僕の夢は冊子の発行だ。僕は、2人に感謝を伝えるための冊子を制作しようと決意し、デザインや構成のイメージをひたすら考えた。

好きな冊子を参考にする?感謝はどう伝える?写真やイラストはどうする?これを機にディレクションも学ぶ?いやいや、そもそも表現力の停滞を感じているのに………。

考えれば考えるほど道筋が見えなくなって、2ヶ月ものあいだ何も進まなかったある日。お風呂に浸かってぼーっとしていた僕は、あることに気付いた。

— そもそも僕が読む冊子は、文字が小さくて読めない!

冊子の見た目や内容ばかり気にしていたけれど、読めなければ言葉は届かない。そして、僕が冊子で届けたいという気持ちだけで、病と闘っている2人の眉間のしわをこれ以上しわくちゃにしてはならない。これ以上にはならないけど。

じゃあ、文字を大きくするのか。それは違った。冊子の大枠を結果的に崩してしまう可能性はあるけれど、意図的には崩したくない。そして、しわを寄せずして読める文字の大きさにしてしまったら、伝えたい言葉が枠に収まりきれなくなる。

だったら、音声をつけて読み上げるか。それもまた耳を澄ませなければならない。どれだけ綺麗に保っていても、2人の聴力は既に僕たちのそれじゃない。これでも優しくないと思ったし、何より僕が書いた文章を自ら音読するなんてエクストリームな体験はまっぴらごめんだ。

冊子を読むにあたって最も大切な視覚と、言葉を聴くための聴覚に不安が残った状態で届けても「あれ?伝わってる?」なんてことになり兼ねない。念には念を。と言うより、あの手この手で伝えようと考えた僕は、冊子のテーマを「五感で感じられること」に決めた。

それから僕の脳内でイメージが固まっていく中、「これって自分の力で実現できるの?」という疑問が湧いてきた。頭の中にあるイメージをイラストに出来なければ、先に述べたようにディレクションもやったことがない。かと言って完成度は落としたくない。なんてわがままなやつだ。

そうは言っても、これは1人じゃできないという結論に至った僕は、今年から参加させていただいている地域コミュニティ「chiicoLab.」のメンバーリストとにらめっこを開始した。

少し話は逸れてしまうが、インタビューやエッセイの中でたびたび登場する「chiicoLab.」について、僕の言葉で紹介させてほしい。(運営に携わる2人のインタビューも掲載しているので、ぜひ読んでくださいね。)

長崎市のとあるサラリーマンが「長崎の人が長崎の情報を知ることができるアプリをつくりたい」と結成したプロジェクトチームから生まれた地域コミュニティ、それが「chiicoLab.」(チーコラボ)だ。

「アプリ完成と同時にユーザーに使っていただけるよう、情報を『発信する側』と『受信する側』の悩みや要望を聴きながらアプリを完成させていこう!」という主旨で2020年1月から始まり、今では様々な業種や市民活動をされている70名程度のメンバーが集まっている。すごい。

月に1度の交流会とFacebookグループを主軸とした無料のオンラインサロンのようなもので、アプリに関する話はもちろん、それぞれが持つノウハウや趣味を共有することで生まれるコンテンツ(と、べろ酔いになる大人たちの言動)が非常に面白い。

持っている技術や考え方もみんな違うし、運営者はしょっちゅう「入りたくなったら入って、抜けたくなったら抜ければいいんだよ。」と話している。何かを押し付けることも、堅苦しい決まりや契約もないので、興味のある方はぜひ気軽に問い合わせてみては?

メンバーリストとにらめっこをすること数分。

イメージが既に固まっていた「制作チーム全員の似顔絵」を、長崎県唯一の協会公認似顔絵師であるTANOさんに、「味覚や嗅覚へのアプローチについての意見」を、JMA認定薬膳講師のまなさんに、そして趣味でデザイン関係の勉強をしている子に「ディレクション」を依頼した。

3人とも快く「やりたい!」と口を揃えてくれたのだが、同時に「いまのイメージを聴かせてほしい」と言っていただけたので、オンラインでの打合せを行うことになった。

年の瀬の忙しい中、なんとか時間を確保してもらった僕は、ここまでで綴った想いと、冊子そのものに対するイメージを事細かに説明し、最後にひとつ質問をさせてもらった。

— みなさんが考える「対価」ってなんですか?

お金を払いたくないとか、そういうことじゃない。ただ、打合せ前に僕の頭を過ったのが、TANOさんの言葉だった。

— 人それぞれと思うけど、面白いと思うし、俺は無償でもやりたい。

誰かに何かをお願いするとき、そこに「やりがい」があることは素敵なことだと思う。だけど、僕はこの冊子を発行した後に続く夢がある。この活動を続けていくために、僕は「やりがい」だけでこのお願いを通す道を選びたくなかった。

お金が一番分かりやすい、だけど僕はみんなの本音が聴きたい。そう言ってしまえば綺麗に聴こえるが、結局は相手に対して何も決められない未熟な自分のためのエゴだ。

この質問をするかギリギリまで迷った僕をよそ目に、みんなが次々と本音を話し始めた。

TANOさんからは「俺は自分のPVを継続したくて、その覚悟を見せようと思って、ちょーのくんにそれなりの投資をした。それは今回お金を払ってほしいって意味じゃないし、俺の絵のクオリティは変わらないけど、お金っていう手段は自分自身の背筋を伸ばすという意味ではひとつかもしれんね。」という言葉をいただいた。

そして、まなさんは「こんな企画に携われることなんてない。これが完成したときに私には経験が残るし、ちょーのくんが今後これを継続しようと思ったときに私を思い出してくれることがあれば、それが私にとって立派な価値。」だと言ってくださった。

ディレクションをお願いした子は都合がつかず参加できなかったけれど、他に参加してくれたメンバーからも、色んな言葉をいただいた。その言葉のどれもが僕の中で響いて、心から「聴いて良かった」と思った。

特に印象に残ったのが、アーカイブ動画を観てくれたあるメンバーが「ちょーのは1mmでもズレたらだめな人。冊子の中身もこだわるし、対価の清算もこの場でしないと気持ちが悪い。それは凄く分かるんだけど、みんなにとっての対価は『ちょーのに貸しをつくれる』でいいんだよ」と断言したこと。

これを聴いた瞬間、「それじゃだめだ」と思った。僕が出した「いのち」に対する答えと矛盾している。借りを返す前に僕が死んでしまったらどうする。それが一番気持ちが悪いんだ。

その夜、ガチガチに凝り固まった僕のプライドが揺らぐことはなかった。

そして迎えた次の日。

たまたま仕事が休みだった僕は、1歳3ヶ月を迎えた息子と一緒に1日を過ごした。

一緒にごはんを食べて、絵本を読んで、おままごとキッチンでひとしきり遊んで、それから買い物に行く。お昼を食べて、並んで昼寝をして、気付けば夕方になっていて、慌てて洗濯物を畳み始める。

僕が一生懸命畳んだ洗濯物をなぜか順番に広げていく息子を見て、「この子のこと、まだ何も知らないなぁ」と思った。それと同時に「あれ?なんであの人は僕が対価を清算しないと気持ちが悪いことを知ってたんだ?」とも思った。

僕がこの考えに至ったのは「いのち」について考え直したからであって、普段からそんなことを思っていたわけではない。

なのに、彼はそのことを既に知っている。いつもはただの酔っ払いに見える彼の眼鏡、実は人の気持ちを透過できる優れものなんじゃないか。だとすると、アガサ博士の顔も立たない。

冗談はさておき、それに気付いた僕はもう1つあることに気付く。彼は、僕の気持ちを知った上で「対価は『ちょーのに貸しをつくれる』でいいんだよ」と断言しているのだ。

「そのうち仕事の対価がお金じゃなくなる」とか「これからはコミュニティで解決していく時代だ」とか、いろんな場面でそんな言葉を聴くけれど、何となく言いたいことは分からなくもないんだけど、それでもまだまだピンとは来ていない。

彼の言葉の真意だって、正直いまでも分からない。

だけどこの人は、僕が必死に考えて出した結論を既に知っていた。

僕が誰かに意見を乞うことは、自分で決められない弱さなのかもしれない。だけど、裏を返せば考え方を柔軟に変えられる強さなのかもしれない。

どんなにくしゃくしゃだったとしても、これが僕の芯なのだ。じゃあいっそのこと、眼鏡を信じてみたっていい。前向きにみんなを巻き込んだっていいはずだ。

その次の日、僕はchiicoLab.のグループ内でこう言った。

— 制作チームのみなさん、僕に貸しをつくってください。

この冊子が完成したとき、みんなに納得してもらえるのか。おとうさんとおかあさんに僕の言葉が届くのか。そもそも、冊子は無事に完成するのか。そして、対価がこれで良かったのか。僕には何ひとつ分からない。

分かっているのは、僕のわがままに力を貸してくれる人が目の前にいるということ。

おとうさんとおかあさんのために。力を貸してくれるみんなのために。そして何より、自分自身がやりたいことを叶えるために。

僕はいまを生きるのだ。

長野 大生

Text by...

文筆家。コワーキングスペースで働く傍ら、地域コミュニティchiicoLab.の運営に携わっています。その他、長崎のローカルメディア「ボマイエ」や「ナガサキエール」などでライターとして活動させていただいています。

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