東アジアにある、小さな島国の西の果て。GoogleEarthが長崎県に向かってぎゅう〜っと寄っていく画を言葉にすると、そんなところだろうか。更にそこから南側にある長崎市の、また更に南側から文章を書き始めて、約1年の月日が流れた。
色々な出会いや繋がりに恵まれて、いまは個人で運営しているこのサイト以外でも筆を執らせていただいている。と言うより、キーボードを叩いている。(色々については、今回は省略させてください…!)
一昨年の僕にこの事実を伝えると、どう思うだろうか。
当時の僕は、家族や友だち、会社といった小さなコミュニティの中で、賃金の水準を嘆き、家賃の高さに不満を垂らして、大して知りもしない行政や自治体の取り組みに苦言を呈してきた。何と言うか、どうしようもない内弁慶。泣き所は向こう脛ではなく、継ぎ接ぎの心というタチの悪さ。
体育の授業で助走をためらった走り高跳びも飛んでしまえば簡単だったし、初めての遊園地デートでビビりまくったジェットコースターも乗ってしまえば楽しかった。ジェットコースターは今でもビビるけど。何にしろ、知らないことを恐れていると気付けない人間だった。
もちろん、一昨年までの人生も自分らしくて、のんびりしていて、すごく楽しかったけれど、やる気スイッチ的なものがオンになってしまった今の方がずっと楽しい。
先日、昨年から親交のある齋藤秀男さんから「とある冊子の依頼があって、ちょーのさんがいいと言うので」という連絡があり、ありがたいことにリライトのお仕事を紹介していただいた。(編集者さんがリクエストしてくれたのか、秀男さんがゴリゴリ推してくれたのか。いずれにせよ、ご縁に感謝してもしきれない…。)
・ここにある文章を
・これくらいの文字数にして
・この世代に分かりやすい表現を
編集者さんは、このような説明をしてくださった。まず元ある文章を熟読して、表現の参考に過去の資料を見せていただいて、それからリライトをして、今しがたビクビクしながら原稿のデータを送信した。あらかじめ「リライトのちょっとしたページ」と言われていたし、冒頭で散々キザに振る舞ってきたけれど、ただただ小心者なだけかもしれない。
— 個人のサイトだと、好きなだけ書けるから。
そんなことを言いながら、好きな文字数で好きなように表現してきた。自ら紡いできた言葉のおかげでたくさんの人に出会って、繋がって、自分自身を表現する楽しさを見つけることができた。良くも悪くも、仕事でなければ言葉には制限も際限もないのだ。
もし、一生の中で話せる言葉の数が決まっていたのなら。人のコミュニケーションはどうなるだろう。誰かが言葉によって傷つけられることは減るのだろうか。それと同じくらい、閃きや偶然の産物といったものたちは消えてしまうのだろうか。
今回の仕事をしながら、そんなことが頭をよぎった。
誰もが言葉を発信できる世の中になったから、いまを生きる僕がいる。だけど、そんな世の中になったから、明日を生きる誰かがいなくなっている。言葉のあるこの世界は、とても幸せで、とても悲しいものだと思う。
以前のエッセイでも綴ったように僕の想像や理想はすごく平和なので、結果的にそうなったとしても、はじめから誰かの意見に抗うような意図で文章を綴ることはしない。心を擦り減らしたくないので「もし、〇〇なら。」という議論も展開したくない。「リライトのちょっとしたページ」だけでこれほどまでに考え込んでしまうわけだから、心は既に擦り減っているのかもしれないけれど。
初めて経験させていただいたリライトのおかげで、これから綴るひとつひとつの言葉を改めて大切に思えた。今後、誰かの想いを伝える記事を書くときには、なおさらその気持ちが強くなるだろう。
いつか、いまを生きる誰かを支えられたのなら。
僕の言葉は、誰かの明日を照らすのだろうか。
今はただ、まっすぐに。
思いの丈を、言葉で紡いでいきたい。
エッセイ