第6話はこちら


冬を越えて、春先に差し掛かっていたところ、上野がある話を持ってきた。

ベスメン出れるけどどうする?

ベスメンとは、長崎市で定期的に開催されているトーナメント制の大会で、フープリーグを探しているときにも目には留まった大会。ただ、トーナメント制だったことや、ツテがないと参加できないとの噂を耳にしていたため、特に気にしていなかった。
上野がどこからこの話を持ってきたのかは定かではないが、みんなに意見を聴いたところ、参加してみたいとの声が多かったのでエントリーすることにした。大会は4月の上旬。ゴールデンウィーク前のフープリーグの開幕戦よりも早い日程だった。

迎えた大会の前日。あにーじゃがある助っ人を連れて来た。彼の名前は恵介。何でも、岩手県出身で健斗たちの年代と同級生だった恵介は、あにーじゃの会社の新入社員研修で長崎に来ており、バスケの経験があるとのことで連れて来てくれた助っ人だった。

紅白戦に入ってもらって度肝を抜いた。

なんと恵介は、岩手県のバスケ強豪校を卒業したての、国体候補選手だったのだ。
1年生の頃にはインターハイも経験しており、実力は折り紙付き。むしろ、Planetでバスケをしていて良い人材ではなかった。しかし彼もまた、明るいキャラクターを持ち合わせており、参加初日にしてみんなと打ち解けていた。

その日の事件はまだまだ終わらない。

紅白戦も終盤に差し掛かったところで、なんと敦志が足首に怪我を負ってしまった。みんなが倒れ込む敦志にすぐに駆け寄り、シューズを脱がすと赤く腫れあがっていた。敦志はリーダーシップがあり、運動量豊富でリバウンドにもよく絡んでくれる、チームにとって欠かせない存在だったのだが、Planetの公式戦デビューを目の前にして戦線離脱することになってしまった。本人の足も痛かったと思うが、チームとしてもかなりの痛手だった。

しかし、神様はこのタイミングで恵介に巡り会わせてくれたのだった。

じゃあ、俺のユニフォームで恵介に出てもらえば!?

敦志がそう言った。

え?いいんですか?

恵介はそう返したが、当たり前の反応である。
Planet体制になってからというもの、敦志の頑張りを見てきた自分もそう思ったし、そんな歴史を知らない恵介もそう思っている。敦志自身が一番悔しい思いをしていたはずなのに、そう提案してくれた敦志はとても強いんだなと思った。
恵介は、遠慮しつつも試合に出ることを承諾してくれた。いま思えば、「え?いいんですか?」と言うべきは自分たちだったのかもしれない。

その話がまとまり、片付けを始めようとしたときに、気付いたら言葉を発していた。

このタイミングで言うのもなんやけど、みんなありがとう。これまで3年間、みんなが嫌な顔ひとつせず、こんなに頼りない俺についてきてくれたおかげで明日の試合に出られる。

なんと素っ頓狂なタイミング。
有無を言わせず上野が突っ込んだ。

いま!?!?

その突っ込みでみんなは笑ってくれたが、練習前からこれだけは伝えなければと思っていたのでスッキリした。当時、帰宅部の高校2年生だった自分たちが立ち上げたチームが、明日、社会人の試合に出場するのだ。考えれば考えるほど感慨深かった。みんなはただ「大好きなバスケをして、他のチームと試合が出来る」くらいの感覚だったのかもしれないが、自分にとっては本当に大きな一歩だった。

全ては自分の言葉で始まった。

大げさかもしれないけれど、何かをやりたいと思ったときに踏み出す一歩が大切だと思えたし、あのとき踏み出した一歩のおかげで、宝物のように思える居場所が出来たことを、本当に幸せに思う。

そして迎えた翌日、Planetの戦いが始まったのであった。


続く

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長崎で活動するYouTubeチャンネル「遊ぶ門には福来る。」から生まれたウェブサイト。言葉の魅力、地域の魅力を不定期に発信していきます。

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2件のコメント

  1. […] 第5話はこちら年を越して、2014年になった。この頃から、チームのホームページを立ち上げて、新たに参加してくれる人を募ってみた。ダメもとで始めてみた試みだったが、すぐに数人の人がメッセージを送ってきてくれて、参加してくれることになった。その中でも印象的だったのが、坂本さんだ。出身は千葉県で、仕事の関係で長崎市に引っ越してしたそう。大学時代にサークルでバスケをしていたこともあり、すぐに紅白戦に入ってもらえるようなレベルの方だった。そんな坂本さんは、年齢こそ3つや4つほど上だったけれど、いつも笑顔でバスケに参加してくれたので、みんなすぐに打ち解けた。練習後に上野・健斗とともに一緒に坂本さんを連れて飲みに出て、さらにその勢いで坂本さんの家に遊びに行ったことさえある。みんなでウイイレをして、気付いたらその場で寝ていて、朝まで居たと思う。仕事で疲れていたはずなのに、全く世話のかかる後輩どもを、坂本さんは嫌な顔ひとつせず相手をしてくれた。仕事の都合上、坂本さんは徐々に参加頻度が減り、いつの間にか参加できなくなってしまったけれど、今どきのSNSを通じて出会えた、素敵な先輩であり、素敵な仲間だった。転勤族だと言っていたが、今はどこで頑張っているのだろうか。またいつか、坂本さんと一緒にバスケをやりたいと、心からそう思う。話は少し戻るが、坂本さんと飲みに出たとき、実はもう1人、途中から村崎を呼ぼうという話になった。程よく酔っていて気分の良かった上野が電話をかけてみると、それとは真逆のテンションで村崎が電話に出た。なぜこんなにも落ち込んでいるのか。話を聞いていると、村崎はバスケットリングがある公園で1人練習をしていた。なんと夜中の11時頃である。本人曰く、その日の練習での自分の出来に納得がいかず、悔しくて涙を流しながら練習していたと言うのだ。なんてストイックな姿勢なのかと感心した。…と言うのは後日の話で、あろうことか酔っ払ったこの4人は、不覚にも「意識高いわ!!」と電話越しに高らかに笑っていたのである。どの口が言うと揶揄されるかもしれないが、頑張っている人を笑うような不謹慎な野郎どもはすこぶる許せない。もし今の自分がその場に居たら、この不謹慎な野郎どもの料理に、「くたばってしまえ」と言わんばかりの唐辛子を混ぜ込んでやったはずだ。いや、直接喉の奥にねじ込んでいたかもしれない。後日、改めて考え直したときは本当に嬉しかった。バスケットボールをプレゼントしてから1ヶ月くらいの話なのだ。もちろん、ボールをプレゼントした最大の理由は、本人には失礼だが、誕生日と言うよりも「バスケをもっと好きになってほしい」との思いからだった。それがまさかこんな短期間で、更に言えば初心者の村崎がここまで頑張っている。「自分も頑張らないとな」と思わせてくれたし、初心者の村崎がここまでバスケットボールに真っ直ぐに向き合ってくれている。キャプテンとして願ってもないことだった。それからというもの、村崎はメキメキと成長を続け、荒削りではあるものの、今となっては、紅白戦でみんなと遜色がないほどバンバンと得点を重ねるようになった。それがチームとしても相乗効果を生み、紅白戦でも公式戦でも、彼の素直な性格と、持ち前の明るいキャラクターが間違いなくみんなのモチベーションの一部になっている。公式戦で得点を決めようものなら、おそらく誰が沈めるゴールよりも相手にとっては痛いはずだ。それほどまでに彼のゴールは、みんなにとって頼もしいゴールなのだから。続く第7話はこちら […]

  2. […] 第7話はこちら迎えた試合当日。Planetのデビュー戦の会場は偶然にも、高校生のときに毎回使用していた三和体育館だった。いわば、Planetの本拠地といっても過言ではない。はじめのチーム方針は、経験値問わず全員の出場時間を確保すること。基本的には、各ピリオドで全員を入れ替えるようなスタンスで試合に臨むことにしていた。記念すべき1回戦の相手はペガサス。190センチ近いセンタープレイヤーが居たことが印象に残っている。マンツーマンディフェンスでスタートしたものの、かなり早い段階で2-3の即席ゾーンに切り替えた。2列目の中央に入った恵介が、参加2日目にして積極的にコーチングをしてくれたので、即席ながら形になっていたと思う。チームのみんなはガチガチで試合に入ったが、恵介は動じることなくチームを鼓舞してくれた。ロースコアで平行線を辿ったゲームが徐々に動き出したのは後半。1列目の上野、2列目の恵介が積極的なプレスからボールを奪うと、すかさず速攻を繰り出す。流れが掴めてきたところで、相手の足も少しずつ止まっていった。この日絶好調だった上野がスリーポイントを次々と沈めてくれたおかげで、相手も万事休す。2人を中心に全員で奮闘し、初の公式戦で見事勝利を収めることができた。続く2回戦の対戦相手は、ご近所さんでよく練習試合の相手をしてくれていた野母崎BCと、ストライクホースの勝者。個人的には公式戦で野母崎BCと対戦したい気持ちがあったものの、勝ったのはストライクホースだった。相手の7番には気を付けた方が良いよ。Planetなら勝てる。試合後、野母崎BCの永江さんから、とても温かいアドバイスをいただいた。この気持ちに応えるためにも、勢いそのままに勝ちたいと思っていた矢先に事件は起きた。俺、帰らんば!福岡でRADのライブ!そう言い残して1回戦の勝利の立役者・上野は姿を消した。積極果敢なプレスと精度の高いスリーポイントという両翼を、RADWIMPSに削ぎ落されてしまったのだ。上野の脳内では「いいんですか?いいんですか?試合投げ出してライブはいいんですか?いいんですよ、いいんですよ。」と、意気揚々としたメロディが流れていたに違いない。体育館を後にする上野の表情は、それはもう満足そうなニヤけ面だった。とは言っても、ライブは当日に決まることではない。仕方のないことだとみんなは気にすることなく笑っていたが、2回戦の火ぶたが切って落とされたとき、上野の偉大さを知ることになる。学生の頃は、1日に数試合などよくある話だったので体も慣れていたものの、社会人の1日に複数試合というのはかなり堪える。序盤は競っていたスコアも、後半に入るとじりじりと離された。最終的な点差は大きく開かなかったものの、敗れた。たくさん外してしまってすみませんでした。恵介が試合後にみんなにこう言った。とんでもない。もちろんみんなの力あってこその初勝利だったが、恵介の力なしでは1回戦の勝利も危うかったし、チームとしては「勝たせてもらった」以外の何物でもない。合流して間もないチームに、ここまで尽くしてくれる選手は後にも先にも居ないと思う。謝ってくれる恵介に対して、みんなは揃って感謝を伝えたが、本人はそれでもすみませんと言っていた。恵介はこの後も、職場の新人研修が終わる数ヶ月の間、何度も練習に足を運んでくれて、たくさんのアドバイスをしてくれた。未熟だったチームに、社会人チームとしての礎を築くきっかけをくれた恵介には、メンバー一同「ありがとう」の気持ちでいっぱいだ。彼はいま、地元の岩手県に戻っているそうだが、メンバーの誰もが、またいつか長崎に遊びに来てくれる日を心待ちにしている。話は戻るが、ベスメン大会は各チーム1人ずつ審判を出して次の試合を裁くことになっている。1回戦の後は上野が笛を吹いてくれたものの、当の本人は今頃マリンメッセではしゃぎ倒している。結局、この日2試合で酷使した恵介に頭を下げ、足を吊りかけながらも笛を口にくわえて必死に走る恵介の姿をみんなで眺めていた。とてつもない残酷なこの仕打ち。このチームは、とんだブラック企業に成長していたのであった。続く […]

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