第8話はこちら


恵介が去った後のチームは、以前よりも少しずつではあるが声が飛び交うようなチームに成長していた。迎えたリーグ戦ではなかなかチームとしては結果が出なかったものの、夏ごろからある選手がメキメキと頭角を現していくことになる。

夏になると、2回目の参戦となったベスメン大会と、その翌週にはフープリーグの土日2連戦が続いた。ここでも残念ながら勝利をもぎ取ることはできなかったのだが、この3連戦で絶好調だったのが健斗だ。
中に切れ込んでも、外から打たせてもとにかく点が入る。もちろん、ほかのメンバーよりもボールを持つ時間が長かったことはたしかだが、驚いたのはその精度だった。健斗はこのTeam Historyを常にチェックしてくれているので「違いますよ!」と言われてしまうかもしれないが、とにかくこの時期は毎試合20点以上を稼ぐのが当たり前といっても過言ではないほど活躍していたはずだ。

その後も公式戦ではなかなか結果が出ない日々が続いていたのだが、秋口に入ったころのリーグ戦でいよいよ結果が出る。

この試合で対戦したのは「三和クラブ」

初めて対戦するチームで、平均年齢は相手が上だったものの、若くて大きい選手が2人、インサイドでプレイしていたような記憶がある。

この試合ではこれまでと違い、前半でかなりのリードを奪う。ハーフタイムの段階では、勝てるんじゃないかと完全に油断していた。
迎えた後半、相手が2-3のゾーンディフェンスに切り替えたところで状況は一変する。ミドルサードで打たされるような展開が続き、徐々にシュートタッチも悪くなった。速攻で崩されるような展開にはならなかったものの、こちらの点数が入らないことでじりじりと点差を詰められ、ついに逆転された。

最終ピリオドに入っても状況は変わらなかったのだが、3点差をつけられたタイミングで健斗が放ったミドルシュートのこぼれ球を宏嗣がなんとかゴールにねじ込み1点差に詰め寄ると、続く相手の攻撃を宏嗣がわずかに触ってカット。ルーズボールを拾った和也が矢のようなボールを前線に送ると、走り出していた健斗がそれに反応した。ここで事件が起こる。

パスカットを狙った相手選手がボールに触れ、それが健斗のおなかに当たり、一瞬エンドラインを越えたかに思われた。健斗はそのまま後ろを追ってきていた上野にパス。ここでパスカットを狙った選手がアツくなり、まるでアザラシのような声で審判に抗議をしたものの、笛はならない。

大会の途中でRADWIMPSのライブに行くような冷徹人間代表の上野がその隙を見逃すはずがない。どフリーの状態でしっかりと体勢を立て直した放ったスリーポイントシュートがリングを射抜いた。非情にも、シュートを沈めた上野はいつものようにニヤニヤしていた。

その後、相手にフリースローのチャンスを与えてしまったものの、相手選手が2本とも外してくれたおかげで試合終了。ぎりぎりの接戦をものにした、嬉しいリーグ初勝利だった。

結局、Planetのリーグ参入となったこのシーズンは、この試合以外は全て負けてしまった。もちろん結果だけ見ると残念なシーズンではあったが、チームとして年間のリーグ戦を戦い抜いたという点では収穫だった。

チームとしての団結が深まり、ようやく出場した公式戦での勝利。Planet体制になってからというもの、何もかもが新鮮で楽しかった時間を過ごしていたが、次のシーズンは誰もが予想だにしなかった結末を迎えることになる。


続く

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2件のコメント

  1. […] 第7話はこちら迎えた試合当日。Planetのデビュー戦の会場は偶然にも、高校生のときに毎回使用していた三和体育館だった。いわば、Planetの本拠地といっても過言ではない。はじめのチーム方針は、経験値問わず全員の出場時間を確保すること。基本的には、各ピリオドで全員を入れ替えるようなスタンスで試合に臨むことにしていた。記念すべき1回戦の相手はペガサス。190センチ近いセンタープレイヤーが居たことが印象に残っている。マンツーマンディフェンスでスタートしたものの、かなり早い段階で2-3の即席ゾーンに切り替えた。2列目の中央に入った恵介が、参加2日目にして積極的にコーチングをしてくれたので、即席ながら形になっていたと思う。チームのみんなはガチガチで試合に入ったが、恵介は動じることなくチームを鼓舞してくれた。ロースコアで平行線を辿ったゲームが徐々に動き出したのは後半。1列目の上野、2列目の恵介が積極的なプレスからボールを奪うと、すかさず速攻を繰り出す。流れが掴めてきたところで、相手の足も少しずつ止まっていった。この日絶好調だった上野がスリーポイントを次々と沈めてくれたおかげで、相手も万事休す。2人を中心に全員で奮闘し、初の公式戦で見事勝利を収めることができた。続く2回戦の対戦相手は、ご近所さんでよく練習試合の相手をしてくれていた野母崎BCと、ストライクホースの勝者。個人的には公式戦で野母崎BCと対戦したい気持ちがあったものの、勝ったのはストライクホースだった。相手の7番には気を付けた方が良いよ。Planetなら勝てる。試合後、野母崎BCの永江さんから、とても温かいアドバイスをいただいた。この気持ちに応えるためにも、勢いそのままに勝ちたいと思っていた矢先に事件は起きた。俺、帰らんば!福岡でRADのライブ!そう言い残して1回戦の勝利の立役者・上野は姿を消した。積極果敢なプレスと精度の高いスリーポイントという両翼を、RADWIMPSに削ぎ落されてしまったのだ。上野の脳内では「いいんですか?いいんですか?試合投げ出してライブはいいんですか?いいんですよ、いいんですよ。」と、意気揚々としたメロディが流れていたに違いない。体育館を後にする上野の表情は、それはもう満足そうなニヤけ面だった。とは言っても、ライブは当日に決まることではない。仕方のないことだとみんなは気にすることなく笑っていたが、2回戦の火ぶたが切って落とされたとき、上野の偉大さを知ることになる。学生の頃は、1日に数試合などよくある話だったので体も慣れていたものの、社会人の1日に複数試合というのはかなり堪える。序盤は競っていたスコアも、後半に入るとじりじりと離された。最終的な点差は大きく開かなかったものの、敗れた。たくさん外してしまってすみませんでした。恵介が試合後にみんなにこう言った。とんでもない。もちろんみんなの力あってこその初勝利だったが、恵介の力なしでは1回戦の勝利も危うかったし、チームとしては「勝たせてもらった」以外の何物でもない。合流して間もないチームに、ここまで尽くしてくれる選手は後にも先にも居ないと思う。謝ってくれる恵介に対して、みんなは揃って感謝を伝えたが、本人はそれでもすみませんと言っていた。恵介はこの後も、職場の新人研修が終わる数ヶ月の間、何度も練習に足を運んでくれて、たくさんのアドバイスをしてくれた。未熟だったチームに、社会人チームとしての礎を築くきっかけをくれた恵介には、メンバー一同「ありがとう」の気持ちでいっぱいだ。彼はいま、地元の岩手県に戻っているそうだが、メンバーの誰もが、またいつか長崎に遊びに来てくれる日を心待ちにしている。話は戻るが、ベスメン大会は各チーム1人ずつ審判を出して次の試合を裁くことになっている。1回戦の後は上野が笛を吹いてくれたものの、当の本人は今頃マリンメッセではしゃぎ倒している。結局、この日2試合で酷使した恵介に頭を下げ、足を吊りかけながらも笛を口にくわえて必死に走る恵介の姿をみんなで眺めていた。とてつもない残酷なこの仕打ち。このチームは、とんだブラック企業に成長していたのであった。続く第9話はこちら […]

  2. […] 第9話はこちらPlanetとして2年目のシーズンが始まった。この時からリーグは参加チームの増加により拡大し、このシーズンは5部で戦うことになった。開幕戦の相手は「GMR」その日集まったメンバーはギリギリの6人、相手にはサイズの大きい選手が居たものの危なげなく勝たせてもらった。昨シーズンと大きく違うところは、技術よりもむしろ「試合慣れ」だった。Planetは気持ちの優しいプレイヤーが多く、おそらく他のチームよりは血の気が少ない。紳士的といえば聞こえはいいが、闘争心に欠けている部分があるのもまた事実。昨シーズンは対戦相手のペースに合わせてしまうというシーンが目立っていたが、この試合に限って言えばある程度自分たちのペースで試合が運べたのではないだろうか。開幕戦で白星を飾り、幸先の良いスタートを切ったチームだったが、相対して練習の参加率が極端に減り始めた。この時は気付かなかったが、ほとんどのメンバーが「1シーズンを戦い抜いた」ことで慢心し、熱が冷めきっていたような状況に陥っていた。単純に参加率が落ちると、参加してくれているメンバーのモチベーションが下がってくる。少ない人数での金銭のやりくりも難しかったため、人数が少ない日にはなるべく体育館の予約をキャンセルし、運営の維持に努めようとしたものの、出欠の連絡をしないメンバーや、当日になってドタキャンするメンバーが後を絶たなかった。こうなってしまっては1人でどうにも出来ないので、定期的に協力のお願いを仰いでいたものの、応えてくれるメンバーも居なかった。その後、チームの練習の頻度が落ちていくことと比例して、リーグも棄権することが多くなった。リーグの運営側も、棄権されることで空いた枠に別のチームを招聘し、親善試合を組まなければならない。かなり苦労をかけていたことも分かっていたので、棄権の連絡をする度に胸が締め付けられる思いだった。SNSを通じて参加してくれる方々も数人居たものの、何かにつけて健斗が難癖をつけては追い返す形になってしまっていた。直接本人に言わずとも、そういう負の感情は連鎖する。キャプテンとしてすべきことは、その流れを断ち切ることだったのだが、なだめる程度で終わっていた。あの時を振り返る度に自分が情けなくてしょうがないのだが、健斗が居ないと試合にならないことを理由に現実から目を背けていた。しかし、これだけは誤解してほしくないのは、健斗にも悪気があったわけではないということ。もちろん、参加してくださった方はこれまでのチームの雰囲気など分からない。自分から見ていても「ん?」と疑問に思うプレイがあったことも否定はしない。ただ、当時の健斗には配慮の気持ちが欠けていただけなのだ。この後、ある出来事をきっかけに健斗は大きく成長する。その話を綴るまで、どうか健斗と言う人間を否定しないでほしい。そして、2シーズン目が終盤に差し掛かった頃。リーグ側へ、3シーズン目でのリーグ脱退を申し入れた。チームの崩壊危機とともに、2015年も終わろうとしていた。そして年を越して迎えた2016年3月。チームは最悪の事態を迎える。その日、嬉しいことに早い時間にメンバーが8人集まった。残り2人来れば久しぶりの紅白戦が出来る。素直にワクワクしていたことを鮮明に覚えている。アップを終えて、それぞれシューティングなどをしている時に健斗と宏嗣が遅れて参加してきた。2時間ある練習時間のうち、40分が経過していた。ほどなくして、久しぶりの紅白戦が始まった。誰が調子が良かったとか、どちらのチームが勝ったとか詳しいことは覚えていないけれど、単純に楽しかった。そして片付けの時間を考慮して「次の1本で今日は終わろうか」と促した時だった。「ええ〜あと2本出来るやろ」健斗と宏嗣がそういう主旨の話を始めた。もちろん自分に宛てられた言葉ではないことは分かっていたけれど、自分の中で抱えていたモヤモヤが爆発しそうになった。お前らが時間通りに来ればこんなことにはならんやったことやろ。口には出さなかったが、さっきまで溢れていた楽しい気持ちを完全に失ってしまった。迎えた次の1本、1歩たりとも走らなかったし、同じチームだった健斗の方さえ見なかった。バスケどころじゃない。溢れてくる怒りを抑えることで精一杯だったが、様子が変わったことに気づいた健斗は面白くなかったのだろう。自分へのパスの質をあからさまに落とした。終了のタイマーが鳴ったあと、人の居ない体育館の外に出て思い切り壁を蹴った。正直めちゃくちゃ痛かったけれど、どうしても人にだけは当たりたくて、だけど矛先を向ける場所もなかったが故の行動だった。誰一人としてこの状況を理解してくれないものなのか。それとも自分の力不足が招いた結果なのか。とにかく孤独で悔しかったし、二度とバスケをしたくないとさえ思った。少し気持ちを落ち着かせてから、健斗たちと仲の良かった和也を呼んで簡単な経緯を話した。仲の良い友達のことを責められているわけだから、和也だって良い気持ちはしなかったはずだ。この時、うんうんと話を聴いてくれた和也にはごめんねの気持ちでいっぱいだった。後にも先にも、バスケットボールというスポーツを通じて、ここまで辛いと思った日はなかった。続く第11話はこちら […]

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