第5話はこちら


年を越して、2014年になった。

この頃から、チームのホームページを立ち上げて、新たに参加してくれる人を募ってみた。ダメもとで始めてみた試みだったが、すぐに数人の人がメッセージを送ってきてくれて、参加してくれることになった。

その中でも印象的だったのが、坂本さんだ。

出身は千葉県で、仕事の関係で長崎市に引っ越してしたそう。大学時代にサークルでバスケをしていたこともあり、すぐに紅白戦に入ってもらえるようなレベルの方だった。そんな坂本さんは、年齢こそ3つや4つほど上だったけれど、いつも笑顔でバスケに参加してくれたので、みんなすぐに打ち解けた。
練習後に上野・健斗とともに一緒に坂本さんを連れて飲みに出て、さらにその勢いで坂本さんの家に遊びに行ったことさえある。みんなでウイイレをして、気付いたらその場で寝ていて、朝まで居たと思う。仕事で疲れていたはずなのに、全く世話のかかる後輩どもを、坂本さんは嫌な顔ひとつせず相手をしてくれた。仕事の都合上、坂本さんは徐々に参加頻度が減り、いつの間にか参加できなくなってしまったけれど、今どきのSNSを通じて出会えた、素敵な先輩であり、素敵な仲間だった。

転勤族だと言っていたが、今はどこで頑張っているのだろうか。またいつか、坂本さんと一緒にバスケをやりたいと、心からそう思う。

話は少し戻るが、坂本さんと飲みに出たとき、実はもう1人、途中から村崎を呼ぼうという話になった。程よく酔っていて気分の良かった上野が電話をかけてみると、それとは真逆のテンションで村崎が電話に出た。

なぜこんなにも落ち込んでいるのか。

話を聞いていると、村崎はバスケットリングがある公園で1人練習をしていた。なんと夜中の11時頃である。本人曰く、その日の練習での自分の出来に納得がいかず、悔しくて涙を流しながら練習していたと言うのだ。なんてストイックな姿勢なのかと感心した。
…と言うのは後日の話で、あろうことか酔っ払ったこの4人は、不覚にも「意識高いわ!!」と電話越しに高らかに笑っていたのである。どの口が言うと揶揄されるかもしれないが、頑張っている人を笑うような不謹慎な野郎どもはすこぶる許せない。もし今の自分がその場に居たら、この不謹慎な野郎どもの料理に、「くたばってしまえ」と言わんばかりの唐辛子を混ぜ込んでやったはずだ。いや、直接喉の奥にねじ込んでいたかもしれない。

後日、改めて考え直したときは本当に嬉しかった。バスケットボールをプレゼントしてから1ヶ月くらいの話なのだ。もちろん、ボールをプレゼントした最大の理由は、本人には失礼だが、誕生日と言うよりも「バスケをもっと好きになってほしい」との思いからだった。
それがまさかこんな短期間で、更に言えば初心者の村崎がここまで頑張っている。「自分も頑張らないとな」と思わせてくれたし、初心者の村崎がここまでバスケットボールに真っ直ぐに向き合ってくれている。キャプテンとして願ってもないことだった。

それからというもの、村崎はメキメキと成長を続け、荒削りではあるものの、今となっては、紅白戦でみんなと遜色がないほどバンバンと得点を重ねるようになった。
それがチームとしても相乗効果を生み、紅白戦でも公式戦でも、彼の素直な性格と、持ち前の明るいキャラクターが間違いなくみんなのモチベーションの一部になっている。公式戦で得点を決めようものなら、おそらく誰が沈めるゴールよりも相手にとっては痛いはずだ。それほどまでに彼のゴールは、みんなにとって頼もしいゴールなのだから。

続く

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文筆家。コワーキングスペースで働く傍ら、地域コミュニティchiicoLab.の運営に携わっています。その他、長崎のローカルメディア「ボマイエ」や「ナガサキエール」などでライターとして活動させていただいています。

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2件のコメント

  1. […] 第4話はこちらPlanet体制になって、すぐに冬を迎えた。この頃のメンバー構成は、HYT発足時と比べると経験者が大多数を占めていた。紅白戦のレベルも発足時よりも遥かにレベルが上がっていて、その環境で際立ってくるのは、もちろんバスケ未経験者だった。このチームにいる未経験者の代表格が他でもない、あそふくメンバーである村崎だ。村崎がバスケを始めたのは、間違いなく「その場のノリ」だった。高校卒業間近に、少しばかり仲が良かったという理由だけで参加してくれただけで、当時はその時限りの参加だろうと誰もが思っていた。自分の目が節穴でなければ、村崎自身もそう思っていたはずだ。しかし、Planet体制に入ってからのバスケには、必ずと言っていいほど彼が居た。バスケがそれほど好きで参加していたわけではないし、周りの経験者のテクニックを目の当たりにしては「すげえ」「うめえ」と呟いていた。そんな村崎の誕生日が、2週間後の12月20日に迫っていた。その時、平田と敦志に声をかけ、村崎の誕生日にボールをプレゼントしたいから折半してくれないかと頼み込んだ。経験者ばかりの環境で頑張っていた村崎を、本当にバスケットボールにのめり込ませようと目論んでの提案だった。2人は、二つ返事で喜んで協力してくれた。大胆にも、村崎を加えた4人で買い物に出かけ、「チームのボールを1つ買う」と言って、本人の前でプレゼントを購入した。何事に対しても疑うことを知らない村崎は、この買い物にひとつの違和感も覚えなかったのだろう。迎えた12月21日の練習。この日は年末最後の練習ということもあって、来季シーズンを戦うメンバーへのユニフォームの配布と、フリースロー大会をするように計画していた。このフリースロー大会で仕掛けた。フリースロー大会と大袈裟に催したものの、景品は使わなくなったゲームや雑貨屋さんで買った小さなパズル、更には百均のおもちゃなど、お世辞にも貰って嬉しいものはほとんどなかった。フリースローを早く決めた人からクジを引くようなシステムにしていたため、優勝したからといって良い景品が貰えるとは限らない。我ながら、公平な(ある意味不公平な)フリースロー大会である。そして、参加人数に対して景品が1つ足りないという状況を作って、村崎が必ずハズレを引くような細工をした。人を喜ばせるには、一度しっかりと落ち込ませるのがミソだと思う。ここでも彼は変わらず素直だったので、しっかりと落ち込んでくれたことを覚えている。全員が景品を受け取ったあと、わざとらしく「ハズレやった人〜?」と尋ねると、間髪入れずに村崎が元気よく返事をした。言われなくとも、そんなことは知っている。ここで両手を差し出し目を瞑るように促して、裏手に隠れていた上野と健斗がニヤニヤしながら姿を現す。2人の手には、これでもかと言うほどのパイが盛り付けられた皿。そして次の瞬間。差し出した手を完全に無視して、勢いよく2皿のパイが村崎の顔を覆い尽くした。しかしまだ落ち着かせてはいけない。後ろに後退しながら顔を手で拭う村崎の視界が開けたとき、和也から「誕生日おめでとうございます!」と、先週一緒に買ったはずのボールをプレゼント。同時に、みんなが隠し持っていたクラッカーの音が体育館に鳴り響いた。「誕生日!?ありがとう!!」一瞬間があったものの、顔についたパイと状況を飲み込んだ村崎が叫んだ。作戦は大成功である。その後、これでイベントが終わったと思わせたところで、平田の兄である「あにーじゃ」に婚約祝いのパイ投げを同時に行った。村崎のサプライズにしっかりと協力してくれていたあにーじゃも完全に予期していなかった出来事だったと思う。2人とも、顔を真っ白にしながら喜んでくれた。突然の提案にも快く協力してくれたチームメイトも、一緒になって楽しんでくれたことがとても嬉しかった。自分の目指すチーム像が、このとき垣間見えた気がした。そして、村崎はこれを境に、バスケットボールというスポーツの楽しさにどっぷり浸かっていくことになる。続く第6話はこちら […]

  2. […] 第6話はこちら冬を越えて、春先に差し掛かっていたところ、上野がある話を持ってきた。ベスメン出れるけどどうする?ベスメンとは、長崎市で定期的に開催されているトーナメント制の大会で、フープリーグを探しているときにも目には留まった大会。ただ、トーナメント制だったことや、ツテがないと参加できないとの噂を耳にしていたため、特に気にしていなかった。上野がどこからこの話を持ってきたのかは定かではないが、みんなに意見を聴いたところ、参加してみたいとの声が多かったのでエントリーすることにした。大会は4月の上旬。ゴールデンウィーク前のフープリーグの開幕戦よりも早い日程だった。迎えた大会の前日。あにーじゃがある助っ人を連れて来た。彼の名前は恵介。何でも、岩手県出身で健斗たちの年代と同級生だった恵介は、あにーじゃの会社の新入社員研修で長崎に来ており、バスケの経験があるとのことで連れて来てくれた助っ人だった。紅白戦に入ってもらって度肝を抜いた。なんと恵介は、岩手県のバスケ強豪校を卒業したての、国体候補選手だったのだ。1年生の頃にはインターハイも経験しており、実力は折り紙付き。むしろ、Planetでバスケをしていて良い人材ではなかった。しかし彼もまた、明るいキャラクターを持ち合わせており、参加初日にしてみんなと打ち解けていた。その日の事件はまだまだ終わらない。紅白戦も終盤に差し掛かったところで、なんと敦志が足首に怪我を負ってしまった。みんなが倒れ込む敦志にすぐに駆け寄り、シューズを脱がすと赤く腫れあがっていた。敦志はリーダーシップがあり、運動量豊富でリバウンドにもよく絡んでくれる、チームにとって欠かせない存在だったのだが、Planetの公式戦デビューを目の前にして戦線離脱することになってしまった。本人の足も痛かったと思うが、チームとしてもかなりの痛手だった。しかし、神様はこのタイミングで恵介に巡り会わせてくれたのだった。じゃあ、俺のユニフォームで恵介に出てもらえば!?敦志がそう言った。え?いいんですか?恵介はそう返したが、当たり前の反応である。Planet体制になってからというもの、敦志の頑張りを見てきた自分もそう思ったし、そんな歴史を知らない恵介もそう思っている。敦志自身が一番悔しい思いをしていたはずなのに、そう提案してくれた敦志はとても強いんだなと思った。恵介は、遠慮しつつも試合に出ることを承諾してくれた。いま思えば、「え?いいんですか?」と言うべきは自分たちだったのかもしれない。その話がまとまり、片付けを始めようとしたときに、気付いたら言葉を発していた。このタイミングで言うのもなんやけど、みんなありがとう。これまで3年間、みんなが嫌な顔ひとつせず、こんなに頼りない俺についてきてくれたおかげで明日の試合に出られる。なんと素っ頓狂なタイミング。有無を言わせず上野が突っ込んだ。いま!?!?その突っ込みでみんなは笑ってくれたが、練習前からこれだけは伝えなければと思っていたのでスッキリした。当時、帰宅部の高校2年生だった自分たちが立ち上げたチームが、明日、社会人の試合に出場するのだ。考えれば考えるほど感慨深かった。みんなはただ「大好きなバスケをして、他のチームと試合が出来る」くらいの感覚だったのかもしれないが、自分にとっては本当に大きな一歩だった。全ては自分の言葉で始まった。大げさかもしれないけれど、何かをやりたいと思ったときに踏み出す一歩が大切だと思えたし、あのとき踏み出した一歩のおかげで、宝物のように思える居場所が出来たことを、本当に幸せに思う。そして迎えた翌日、Planetの戦いが始まったのであった。続く […]

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