近ごろ、めっきり寒くなって来た。

昨年の今ごろは、東京へ長期出張するための準備をしていた。年明けから始まる1年間の単身赴任。都会へ移り住むことに対する淡い期待と、家族や友だちと離れてしまう大きな不安が入り混じって、少しずつ淀んでいく空のような心持ちの日が続いていた気がする。

何度片付けても、次々と積み重なっていたはずの仕事は、年の瀬が近付くにつれて減っていった。抱えていた案件、参加したコミュニティ、ようやく慣れてきたオムツ交換。長崎に居たら大きく伸し掛かっていたはずの重りが、日を追うごとに削ぎ落されていったことをよく覚えている。

— これから1年、この出張を乗り越えたら、晴れて家族で福岡県に住める。

そんな想像を膨らませていた僕に「来年の冬、また長崎にいるんだよ。」なんてことを言ったら、きっと驚いたことだろう。

それから淡々と月日が流れ、1年が経った。

僕はいま、設計の仕事を離れて、多くの人と関わる仕事をしている。初めての接客、初めての集客、初めてのプロモーション。経験のない仕事を織り交ぜながら、より多くの場所に顔を出し、ひたすらに筆を執っている。

仕事をしてお金が入ってくることは嬉しいし、誰かに必要とされることも嬉しい。父親として過ごしている時間も含めて、夢のような時間が続いていたように思う。

文章や動画に生まれた納期。それを意識しながらクオリティを追い求める新鮮さ。クライアントさんや作品に対する想いも相まって、もっと効率的に!もっといいものを!と、高鳴る心臓。この心臓はきっと、どんな坂道が現れても破れることはない。

そうして生まれたエネルギーは、人との接し方、もとい、コミュニティ運営にも大きく影響した。誰かに声をかけられればすぐに駆け付け、オンライン交流会はできる参加し、並行する子育ても全力でこなした。息継ぎもなく走る坂道の中で手にした信頼を糧に、僕はどこまでも登れると信じ切っていた。

それから1ヶ月が経った頃、いつもであれば今か今かと楽しみに待っていたはずのミーティングを忘れたことがあった。打合せや取材があるときには必ずカレンダーに書き足していた僕には縁がないはずの「すっぽかし」。当時のごめんなさいは先日更新したエッセイで簡単に綴っていたけれど、早いうちから異変はあった。

気に留めることなく、同じような生活を続けて4ヶ月。僕はようやく、地に足つけて走っていたはずの自分が、命綱なしで腕の力だけでよじ登っていることに気が付いた。いくら坂のまちとは言え、ここまでしんどい坂道はない。どんどん急勾配になっていく坂道を、いや、どこまでもまっすぐ、きっと天まで続いている高い壁を。越えられると錯覚していたのだ。

風船のように僕を支えていた何かが、鉛のように重くのしかかった。

インタビューを繰り返していく中で、「疲れたときは投げ出してもいい。無理をしなくても大丈夫。」そういった話を聴くことが多くなった。

それは答えてくださったみなさんの揺るぎない本心で、僕もその答えに大きく頷いた。1人では抱えきれないストレスが無差別に降りかかってくるこの現状を憂うよりも、いっそ投げ出してしまった方が楽だ。心からそう思う。

しんどい。休みたい。そんな悩みを抱えている人に対して、少し前までの僕は「そんな時間があれば投げ出せばいいじゃん!」なんて言葉をかけてしまっていたと思う。

だけど、それを理解していることと、実際に投げ出せるかは別問題だ。

信頼という風船が責任という鉛に姿を変えてしまったら、どれだけ心臓が張り裂けそうになっても走り続けないといけない。心が辛いと叫んでも、それに鞭打って制止するのは自分自身で、本当に破れるのは身体が悲鳴を上げたときだけだ。

じゃあ、はじめから受けなければいい。

そうすれば、苦しい思いもしなくていいのに。

誰かを傍から見ていた僕は、こんな気持ちが過ることもたくさんあった。今でもそう思ってしまうことさえある。だけど、好きなことを仕事にして分かったこと。正確には、分かっていたはずなのに目を背けていたこと。

苦しみよりも楽しさが勝るとき、人は断ることに充てるべきエネルギーを「やりがい」と呼ぶのだ。

ここまでで文章を締めて、公開日を設定した2日後の昼休み。遊びに来てくれた友だちと流行りのモルックをしていたところ、突然視界が揺らめいた。その時は軽い立ち眩みだと思って気に留めなかったけれど、日が落ちていくにつれて僕の体調は下降線を辿った。

やばいと思った僕は、仕事を終えて実家の母に迎えを頼んだ。家までまっすぐに車を走らせてもらい、帰宅して体温計で熱を測った。39℃だった。

十何年かぶりに熱さまシートを貼って、リビングに布団を敷いて寝た。朝になると熱は下がっていたけれど、このご時世、発熱を隠して生きることは得策じゃない。先輩と上司へ一報を入れ、通院のために仕事を休ませてもらった。

— 感染症ではありません。今日はしっかり休んでください。

あぁ、僕の身体は悲鳴を上げたのか。

そんなことを思いながら、帰り道でぼんやりと空を見上げる。流れる雲も、白く光る太陽も、昨日よりちょっとだけ遠くにあるように思えた。

それから更に半月が経ち、気付けば今年も1ヶ月を切った。

すっかり元気になった僕は、体調を崩す前と変わらず動き続けている。変わったことと言えば、周りの人たちの熱やエネルギーが、ある意味どうでもよくなったことだろうか。

あれもしないといけない。これもしないといけない。なんとかして、誰もが納得できる正解を見つけないといけない。少し前までそんなことが頭を駆け巡っていたけれど、仕事もコミュニティも、本質を辿ればキリがない。あるのかもしれないけれど、いまの僕はそれを辿る気がない。

目の前の人と笑えればいい。

楽しさよりも苦しみが勝る僕は、断ることに充てるべきエネルギーを「やりがい」と呼ぶのだ。

長野 大生

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文筆家。コワーキングスペースで働く傍ら、地域コミュニティchiicoLab.の運営に携わっています。その他、長崎のローカルメディア「ボマイエ」や「ナガサキエール」などでライターとして活動させていただいています。

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